目標は『地球から月までの往復距離を走破すること』。52万kmをともに歩んできたスープラとの23年間【取材地:福岡】

「このスープラは平成10年式(1998年)を新車で買って、今年で乗り続けて23年目になりました。走行距離は52万kmを超えていて、地球から月までの往復距離といわれる76万kmを目標に走っています」と話すのはオーナーのささきょさん。

全国の70型、80型、GR型で総勢2000人以上のオーナーが所属している『スープラオーナーズクラブ』の中で、九州支部の代表を務めている人物だ。
そんなささきょさんが、これまで愛車のスープラと23年間歩んできたカーライフを振り返っていただくことにした。

「まず、このスープラは僕が買った2台目のクルマでした。最初のクルマはカローラⅡなんです。当時は仕事の関係で大阪から山梨に行くことになって、クルマがないと日常の生活が不便だからというそれだけの理由で購入しました」

そのカローラⅡは、当時フルモデルチェンジした新作が発売される前日に売れ残っていたのをディーラーから安く勧められて購入した、いわゆる『日常の足ならなんでもいい』という感覚で選んだ1台だったという。

「そこからカローラⅡに3年半くらい乗っていたんですが、山梨でクルマ中心の生活に慣れてきたらドライブに出かけるのが楽しくなってきたんですよ。スープラを知ったのはちょうどその頃です」

「山梨のいつもドライブで行くスポットに、ヴェイルサイド製のフルエアロを付けた赤い80スープラがいつも停まっていたんです。それがめちゃくちゃカッコよくて、自分もスープラが欲しくなって貯金をはじめました。1年くらいで半分くらいためたところでそれを頭金にして、残りはローンで新車を購入しました。98年の6月に注文して、8月に納車された後期モデルですね」

「色はとても悩みましたねぇ。白、青、黒で迷って、タミヤのプラモデルで発売されていたスープラを3台買ってきて、それぞれの色に自分で塗って考えて選びました」
その結果選んだのが、こちらの白のカラーリングだ。
プラモデルの趣味があったわけでもなく、ハケ塗りで仕上げられているところが本当に色選びのためだけだったという理由を物語っているが、このプラモデルも大事に保管されているスープラとの思い出のひとつだ。

「僕のスープラはNAなんです」
スープラといえばトヨタを代表するハイパワーターボ車という印象が強いが、ささきょさんが購入したのはスープラの中でもSZグレードというNAの2JZエンジンを積んだ5速マニュアルモデルだった。

「カローラⅡからいきなりターボ付きのハイパワー車に乗るのに尻込みしたというのが本音です。初めてのスポーツカーだし、新入社員に毛が生えたくらいの年齢で予算的な問題もあったし、ステップアップするにも急すぎるから、自分にとってはNAでも十分だろうと。もともと、スープラの性能面よりもスタイリングに惚れたというのもありましたから」

いっぽうで外見にはこだわり、SZには標準装備されていないオプションパーツには予算をかけた。17インチホイールのビッグキャリパー、大型のリヤウイング、それに走行中に自動で展開するフロントバンパー下に装着されたアクティブリップスポイラーだ。「90km/hでスポイラーが出てきて、70km/hを下回ると引っ込む速度感応式のエアロパーツです。今となってはかなりレアなパーツで全国のスープラが集まるミーティングでも数台しか見かけないほどです」

ちなみに、ささきょさんはこのリップ部分をイギリスから輸入したカーボン製のアフターパーツに付け替えていて『白いボディにカーボン製のアクティブリップスポイラー』というスタイルを見れば、ささきょさんのスープラだとわかってもらえるほどの特徴になっているという。

「街中だと90km/hも出すことなんてまずないから、室内から自由にオンオフできるブリッツ製のコントローラーを付けて、いつも出すようにしてます。実はこのコントローラーも今は廃番なので、めちゃくちゃレアになっていて、結構羨ましがられます(笑)」

エンブレムは70型スープラに採用されていた車名入りのものに変更されているのだが、こちらもささきょさんのスープラの歴史を語る上で欠かせないパーツのひとつだ。

「ソアラとかは30型になっても車種限定のマークがついていましたけど、スープラは80型からそれがなくなったのが寂しくて、ネットオークションで70型のエンブレムを落札しました。出品者とやり取りしていたら、同じ山梨の近所に住んでいることがわかって、待ち合わせして直接引き取りに行ったんです。出品した人は70型スープラを手放すことになったオーナー本人だったようで、当時の思い出なども話してもらってから付けたものなので、なんとなくその人とスープラの魂も引き継いだ気持ちになりました。もう15年くらい前のことなのでちょっとくすんできちゃってますけど、とても愛着があって絶対に外せないパーツです」

まるで愛車を手放すことになった70スープラのオーナーさんの思いも引き継ぐかのように、一層愛着を持って乗り続けることになったささきょさんのスープラだったが、走行距離が30万kmを超えた時点で大きなピンチを迎えることになってしまう。

「通勤中に横から別のクルマに突っ込まれたんです。左のリヤタイヤ付近に大きなダメージを受けて、フレームまで歪むほどでした。大事に乗っていたクルマだったので、それでも乗り続けたかったんですけど、保険会社の方と事故後の処理をやっている最中に『えっ、廃車じゃなくて修理するんですか?』と驚かれたんです。それを聞いて、余計に『絶対に直してやる!』という気持ちが強くなりましたね。4ヶ月もかかる大修理でしたけど、30万kmを超えたあたりから地球から月までの距離である38万km走破を目指して乗っていたので、それまでは絶対に乗り続けるぞ!と改めて心に誓いました」

仕事の都合で転勤が多かったというささきょさんは、23年の間に大阪府、福岡県(久留米市)、山梨県、そして現在の福岡県(福岡市)と4度場所を移り住んだが、その間もずっと通勤や日常乗りとスープラと二人三脚で人生を歩んできた。
現在の仕事場へは徒歩通勤というが、今でも年4万km近いペースで走行距離が増えて続けているのは、ささきょさんの趣味がドライブというのも大きな理由だ。

スープラにまつわる思い出の写真を拝見すると、こちらは2002年9月に本土最北端の宗谷岬を訪れたもの。

こちらは同じ年の2002年10月に本土最南端の鹿児島県の佐多岬を訪れた写真。

そしてこちらは2010年の5月に北海道にある本土最東端を訪れたときのものと、まさに日本中をスープラとともに走破している。

このように順調に走行距離を重ねていったがささきょさんだが、もっぱら愛車のスープラに乗ってドライブする楽しみ方が中心で、今では九州支部代表を任されるほどになったスープラオーナーズクラブとの付き合いはほとんどなかったという。

「仕事仲間にスープラオーナーがいた縁で、2006年にたまたまクラブ主催のBBQに参加したことがありますけど、それ以外はずっと年に1回ミーティングに出るかどうかというくらいでした。というのも、それまでは『マイナスイメージの大きいただの過走行のNAスープラ』に乗ってるオーナーのつもりだったので、他の凄いスープラと肩を並べる気もなかったんです」と振り返る。

「自分のスープラに対する認識が変わったのは、2019年1月にGRスープラが発表されたときに、トヨタさんが公式ツイッターで『#スープラ偏愛のハッシュタグでスープラの愛を発信してください』と呼びかけていたのがきかけですね。そこに45万km走行時の写真を載せたら、スープラオーナーズクラブの代表を務める延命(えんめい)さんから『すごい』とリツイートをもらって、そこから大きな反響があったんです。それが、どれも好意的なものだったんですよ」

これをきっかけに、ささきょさんが愛車のスープラの負い目だと感じていた『40万km以上の過走行車』は、実は誰のスープラにもない自慢できる個性だと初めて思えるようになったのだという。

ささきょさんがスープラに乗り始めて21年目、つい一昨年の出来事だというのだから“無事之名馬”とは、まさにこのことだろう。

「それからは、自分のスープラがちょっとずつ輝いて見えるようにもなりました。スープラオーナーにとってはNAとターボがいつも比較されて、NAが低く見られるのが普通なんですけど、長距離走行にあたってはNAのほうが有利なところが多い。そう考えると最初にNAを選んだことも良かったと感じるようになりました」

ささきょさんのスープラがここまで注目されるのは、購入時のエンジンがそのまま載せられているといこともある。同じ型のエンジンを載せ換えることもせず、エンジン内部のピストンなどをリフレッシュするオーバーホールという作業すら行わず、快調を維持したまま現在の走行距離を迎えているのだ。

「メンテナンスはGRガレージ福岡空港にお願いしています。特に気にしているのがオイル交換ですね。昔から定期的に走行3000kmで交換していましたが、最近はオイルが減る量も増えてきたのもあって、こまめにレベルゲージで量と色をチェックして3000km以下でも様子を見て交換しているようにしています」

そして、その年には富士スピードウェイにて毎年開催されるスープラオーナーズクラブ全国ミーティング2019に晴れて参加。そこでSNSでの投稿をきっかけとした様々な出会いがあり、ささきょさんは2020年にクラブの九州支部代表となる。

走行距離はついに50万キロをオーバー。同じくスープラオーナーとして知られる元スーパーGTドライバーの脇阪寿一さんの目にもとまり、後に脇阪さんの公式ユーチューブチャンネルでの取材を受けるほど。
リヤクォーターに飾られたエンブレムは友人が作ってくれたものだが、同じものを脇阪さんもインテリアに使っているという思い入れのある一品だ。

脇阪寿一「Channel 11」出演回
https://youtu.be/UUURf4IDu68

ささきょさんいわく、ここまで事故以外の大きなトラブルがなく乗り続けることができたのは、日常の足としてもずっとスープラ1台だけに乗り続けてきたことも大きな理由だという。「支部の代表になってからオフ会を企画することも増えたんですが、愛車にトラブルを抱えがちな人は普段乗りのクルマを別に持っていて、イベントのときだけメインカーに乗る場合が多いと感じたんです」。
動かす機会が少ないことで、かえって故障しやすくなったり、不調に気付きにくかったりするというわけだ。

「僕にとって2年前のツイッターの一件は本当に大きくて、そこからは長く走れば走るほどこのスープラの価値が上がっていくと思えるようになりました。GRスープラが出ると聞いて、50万キロを一区切りに乗り換えようと考えていた時期もあったんですが、ここまで来るともう自分が亡くなるまでは手放せないなという感じですね」

撮影時点での走行距離は52万2339km。途中で中古のTRD製のフルスケールメーター(購入時1万5053km)に交換したため、交換前の純正メーターの21万3692kmと合わせた数値だが、外したメーターもスープラと歩んできた歴史としてしっかりと保管されている。

これからの目標は過去の大事故が起こるまでの目標にしていた38万kmという地球から月への到達距離を走ることから、その往復の76万kmを目指しているという。「周りからは『100万kmを目指して』とよく言われるんですが、仮に実現したときの自分の年齢を考えると現実的じゃないのでこっちにしてます(笑)」

ささきょさんとスープラの月への往復旅行はすでに帰路に入っているものの、まだ1/3となる14万2000kmを過ぎたあたり。編集部一同、僭越ながら二人が無事に月までの旅を終えて地球へ帰って来ることを願っています!

(⽂: 長谷川実路 / 撮影: 西野キヨシ)

[ガズー編集部]

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