老舗和菓子店の“ギャル女将”を救ったのは、荒川の大自然とジムニーだった
アパレル販売員を辞めて、家業である老舗和菓子店の6代目となり、10年以上赤字続きだったお店の経営を見事V字回復させたギャル女将――というニュアンスで書かれた榊 萌美さんに関する記事を、お読みになったことがある人もいるかもしれない。
ご本人いわく「せいぜい敬語がほんのちょっと使えるぐらいで、社会経験も一般常識もほぼゼロだった」という埼玉の“元ギャル”が、紆余曲折の末に創業136年の和菓子店「五穀祭菓をかの」を経営者として立て直したストーリーは、巷間で報道されているとおりだ。
とはいえ、そのストーリーをお読みになったことがない方のために約280字で説明すると、おおむねの流れは下記のとおりとなる。
緑豊かな埼玉県桶川市で130年以上続く和菓子店「五穀祭菓をかの」の娘として生まれたが、“ギャル”になった。大学は2014年7月、2年生の途中で退学し、アパレル販売員として社会経験を積んだ。
そして2015年、家業の和菓子店に従業員として入社。自ら発案した葛粉のアイス「葛きゃんでぃ」が2020年に大ヒットするが、それが元で経営はさらに大混乱する。
そこであらためて真剣に経営を学び直しながら経営改革を断行。2021年には副社長に就任し、そして2022年、10年以上大赤字が続いていた「五穀祭菓をかの」は見事、榊 萌美さんのもとで安定的な黒字企業へと生まれ変わった。
「あぁ、そういえば『葛きゃんでぃ』も『ギャル女将』も、どこかで聞いたような気はする」という人は多いだろう。
2022年に「をかの」の経営がようやく安定すると、榊さんは鬱――というほどひどいものではなかったのかもしれないが、いわゆる燃え尽き症候群のような状態となり、メンタルが急降下した。
「最初にメンタルをやって、『もう全部やめちゃおうかな……』なんて思ったのは2020年のときでした。テレビがきっかけで葛きゃんでぃが猛烈に売れてしまい、お店のオペレーションは大混乱に。その結果、お客様やお取引先に多大なご迷惑をおかけし、さらには『俺はアイスを作るためにここにいるんじゃない』と、職人さんを含む3人の従業員さんが辞めてしまったんです。
そこから、なんと言いますか――心を入れ替えて真剣に勉強し、精進し、2022年には経営状態をほぼ立て直すことができたのですが――」
その代償として、榊 萌美さんは燃え尽きた。
休みは数年間ほぼ取らず、文字どおり寝る間も惜しんで仕事に没頭した結果として、ある意味壊れていた家業を修復したわけだが、その代わり、自らの心を壊してしまったのだ。
「ギャルだった頃からあいにく体だけは丈夫なので(笑)、寝込むとかはなかったですし、人とも会えていました。でも……心がまったく動かず、以前のように120%のフルスロットルで仕事に臨むことができなくなってしまったんです」
筆者は医師ではないので診断などできないが、俗に言う「軽度の鬱」ということになるのだろうか。自信を失い、仕事が手につかなくなった。
「こんなことをしてちゃダメだ! とにかく何か仕事をしないと、“仕事人間”である私の存在意義がない!」と焦れば焦るほど、状態は悪化した。
だがそこで榊さんが幸運だったのは、約1年半前に知人から古いスズキ ジムニーを譲り受けていたことだった。
「もともとはジープ ラングラーに憧れていたのですが、ジープは私にはちょっと大きすぎるということで、2021年に知人から2代目のジムニーを譲ってもらったんです。とはいえあまりにも仕事が忙しくて、ほとんど乗るヒマがなかったのですが――そのとき思い出したんですね。『あ、今なら時間があるから、ジムニーで荒川に行けるな』って」
駅前付近はそれなりに商店が立ち並び、その周辺には今どきの住宅が立ち並んでいる埼玉県桶川市だが、そこから車で10分も走れば「荒川」があり、その雄大な河川敷がある。榊さんは落ち込んでいる心を奮い立たせて小さなエンジンに火を入れ、1996年式の古いスズキ ジムニーで河川敷を目指した。
一般車両の走行が普通に許可されている河原の道ではあるが、路面はかなりでこぼこであるため、そこをただ走るだけで、ちょっとした絶叫アトラクションに乗ったかのような気分になれた。
そしてジムニーを安全な場所に停車させて車外に出ると、木陰から何羽もの鳥たちが一斉に羽ばたいていった。その羽根は太陽の光を透過し、きらきらと輝いていた。鳥たちが去った後の静寂に、草木の揺れる音が静かに響いた。
小さな古い車と自然が織りなす交響楽に聴き入ることで、榊 萌美さんの心は瞬時のうちに回復していった――ということで話が終われば美しいのだが、現実はそう簡単ではない。
「ジムニーで川に行くと、その瞬間は立ち直れるんです。でもしばらくするとまた『あぁ、ダメだ……』となって。で、また川に行ってばああああっと走ってぼーっとすることで元気になれるんですが、それでもまたしばらくすると『ダメだ……』みたいになっちゃって」
古いジムニーも河原という自然も、榊さんにとっての特効薬ではなかったということなのだろう。だが何度も何度も“服用”しているうちに、薬効は確実に現れてきたという。
「あるとき―――いつものようにジムニーでばああああっと走って、その後ぼーっと木々や鳥なんかを眺めていたとき、心の底からふと思えたんですよ。『まぁ人生長いしな』って」
……? どういうことだろうか。
「仮に100年生きるとしたら、今28歳である私は“半分の半分”ぐらいしか生きてないわけですよ。そんなに長いんだったら、今ちょっとぐらい休んでもぜんぜん平気だよね――みたいな感じで“焦り”が雲散霧消したんですよね。
あと古いジムニーに乗って、タダで来られる河川敷にいるだけでもこんなに幸せなんだから、限界まで無理をして、自分がボロボロになって、必要以上にいろいろなものを得る必要なんてないんじゃないかなって、気づいたんです」
1996年式スズキ ジムニーのダイレクトなビート感と、「手のひらサイズ」ゆえの爽快感。そこに桶川の大自然(中自然?)がもたらしてくれる恩恵を組み合わせ、体全体でそれをゆっくりと感じ続けたことで、ギャル女将こと榊 萌美さんは完全復活した。
今後は家業をより盛り上げるとともに、自分を育ててくれた「桶川」という町自体にも恩返しをしていきたいのだという。
その課程において、おそらくはまた何かと大変なことも起こり得るのだろう。落ち込んでしまうことだって、あるのかもしれない。
でも「次」はもう大丈夫だ。たぶん。
なぜならば、今の榊さんにはジムニーの鼓動があって、荒川の光と風がある。何かあったらまたそこへ戻り、「これ以上のモノなんて実は何もいらないのだ」ということさえ思い出せば、いつだって自分の足で、自分のペースで、再び静かに歩き出せるはずなのだ。
(文=伊達軍曹/撮影=阿部昌也/編集=vehiclenaviMAGAZINE編集部)
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