沖縄に生まれて… ~平良響選手&沖縄をモータースポーツで盛り上げる人たち Vol.1~

最近とても気になるワードとして、私の中に「沖縄」があります。沖縄出身のレーシングドライバー、モータースポーツに熱心な公共団体、メーカー育成ドライバーの中に沖縄出身がいた…。この3つがここのところ気になっていました。

そして地理的に見て、沖縄の方がレースをする事が大変なのは誰しもが感じるところ。そんな思いを持っていたところ、沖縄出身のドライバーとして注目を集める選手が身近にいて、とても好青年で興味を抱きました。

平良響選手とは?

  • 平良 響(たいら ひびき)選手

その好青年とは、平良響選手です。
【公式サイト レーシングドライバー平良響 | Hibiki Taira Official Fan Site (ezpage.jp)

トヨタ自動車のメーカー育成ドライバー、TGRドライバー・チャレンジ・プログラム(以下、TGR-DC)に選出されています。このプログラムには、かつて小林可夢偉選手、中嶋一貴さんなどが選出され、世界を戦うドライバーとして成長していきました。平良選手も同じ道を今歩んでいます。

今季は、特に重要な一年。スーパーフォーミュラ・ライツ参戦3年目となりますが、是が非でもこのカテゴリーから卒業しないといけないのです。これまで先輩たちがそうして来たようにね。ここを卒業しないとさらなるステップアップがありません。プロとしての大きなスタートが切れないのです。しっかりここで戦い抜いて、上を目指して欲しい、そんな2023年となります。

  • GR86/BRZ CUP

今季も所属は、トムス。その他にもSUPER GT、GR86/BRZ CUP(プロフェッショナルシリーズ)、スーパー耐久となんと4カテゴリーに参戦します。ハードですが、沢山走れるのはドライバーにとって幸せなこと。過去イチ、やり甲斐のあるシーズンになること間違いなしです。

2020年F4最終戦

  • 2020年FIA-F4最終戦

SUPER GTと併催している「FIA-F4」というフォーミュラのカテゴリーがあります。ここから巣立ったドライバーはとても多く、現在F1で活躍する角田裕毅選手や、TGR-DCの先輩にあたる坪井翔選手や宮田莉朋選手などもそう。かつてライバルメーカーに所属し、TGRのシートを獲得して、現在トップカテゴリーで大活躍中の阪口晴南選手もこちらで戦っていました。

若手の精鋭が戦うカテゴリーです。ここで、彼はチャンピオンに輝き、スーパーフォーミュラ・ライツにステップアップしました。

  • 2020年FIA-F4最終戦

2020年のFIA-F4最終戦のこと。メディアセンターに見慣れないメディアの方がいて、お二人の方がコースを見ていたものの、勝手がわからず困ったご様子でした。質問をして来られたのか、私が雰囲気で話しかけたのか忘れちゃいましたが、どなたか伺うと、沖縄のテレビ局のカメラマンさんとアナウンサーさんでした。平良選手のチャンピオンがかかったラウンドだったので、富士スピードウェイまで来られていたんです。

これには、めちゃくちゃ驚きましたね。え?テレビでF4を放映するの?と。そうなんです、平良選手、沖縄のスターなのです。地元で広めてもらえるのは、私はとても幸せなことだと思っています。昨年、大河ドラマで主演を務めた俳優の大泉洋さんも、北海道のスターから全国区へ、でした。そして、今でもちゃんと地元を愛していらっしゃる。その揺るぎない人気は、郷土愛に一番通じるところであり、とても大事だと思っています。平良選手もそうなのかと思うと、他のみなさま、いかがでしょうか?大ベテランの松田次生選手も、ご出身の三重県の番組に出演されていたような。

沖縄に実際行ってみると、ある方々(Vol.2で紹介させていただきます)に“スターですよ~”と言われ、なるほどと、驚きよりも実感として感じて参りました。さて、ご本人のお話を綴って参ります。

モータースポーツに興味を持ったきっかけ

平良選手からお借りした子どもの頃の写真です

かわいらしいですね。小さい頃は、遊園地に連れてってもらう感覚でお父様とカート場に通っていたそうです。
モータースポーツとしては、まったく分かっていなかったそう。これはきっと皆さんもそうでしょうね。小1の頃からサーキットに通っていても、友だちとの遊びの延長でしかなかったようです。

しっかりレースの存在を知ったのは小学3年生くらいの時だったとのこと。深夜に行われていたF1の録画を見るなどして、徐々に…。

沖縄県中頭郡にある「ククル読谷サーキット」に通ううちに、戦うことを覚えていったとのこと。遊びで楽しいというところから、タイムを競う、バトルをするという意識が徐々に芽生えて行きました。そして、彼の人生を左右する、人生一回目のターニングポイントとなる出来事が起きるのです。

小3の夏休みにキッズカートの全国大会に出場したことが発端。場所は、名古屋に近い三重県・桑名市のレインボースポーツのサーキットでした。今思えば、車両はボロボロのマシンだったとか。この大会で、最下位争いをしたそうです。

一緒に行ったのは、ククル読谷サーキットで共に頑張っていた幼馴染の翁長実希選手でした。現在、競争女子、GR86/BRZ CUP(プロフェッショナルクラス)に参戦する女性ドライバーさんです。彼女と最下位争いだったそうです。これが大きく意識を変えました。

沖縄に帰って来たら悔しくてしょうがなかったとか。その気持ちが、ここから彼を育てます。翌年小4でリベンジ。当時の大会には、今季SUPER GT・GT500クラスにステップアップしたHondaの育成ドライバー、太田格之進選手や木村偉織選手がトップ争いをしていて別世界にしか見えなかったそうです。

今思えば、「挫折も大切」と大人の目からは容易に言えてしまいますが、当時のご本人は本当に悔しかったでしょうね…。ここから彼のカート人生は、華やかな戦績を積み上げていきます。
(ぜひ先ほどの公式サイトをご参照ください)

メーカーの門を叩く

誰しもがあてはまると思うのですが、10代でレースをするということはとても大変です。潤沢な活動費用を用意することが大変なのは、想像に難くなく。その費用問題と戦いながらも道を開いた平良選手。ちょっと振り返ります。

ご自身で「波乱万丈」と表現する10代の時期。まず、出来る範囲でカートレースを続けようと考え、HondaのSRS(鈴鹿レーシングスクール)受講を考えました。費用が思ったほどかからず練習もできるのです。若いドライバーの才能を見出すためのスクールですので、一石二鳥。すると、事務局の方から、前年に彼がJRRMC鈴鹿シリーズのチャンピオンだったことから、SRS(鈴鹿レーシングスクール)ではなく、その上のSRSフォーミュラチャレンジ(以下、SRSF)を受講して欲しい、とお話しがありました。

「自分は、カートの方でも良いのに」と思ったものの、ここでフォーミュラへ進むことに。そのSRSF を受講した際には、名取鉄平選手や佐藤蓮選手がいて、全く勝負にならなかったそうです。ぎりぎり最終選考に通してもらったものの、結局落ちてしまいメーカー育成ドライバーへの道は開きませんでした。

このスクールを受講するにあたり、費用も沢山かかったのに、ダメだったことで、もうレースやめた!となったそうです。10代で挫折、プロになるには本当に厳しいのですね…。彼の揺れ動く気持ちも理解できます…。

大学受験を考え、塾に通わせてもらい猛勉強。これにも費用がかかるので、頑張ったご様子。そんな中、沖縄で「カートをやめないでくれ」、とスポンサーをしてくれる方が現れました。しかし、“もうレースをやめたので“と断ったそうです。「それでも…」と仰っていただき、なんと年間分のカートの費用を持ってくださり、再び全日本カートへ参戦しました。その結果はダメダメで思い出作りにしかならなかったそう。やめ時、とご自身で本気で思ったそうです。

そんな中、彼の言葉をそのまま使うと、FTRS(フォーミュラトヨタレーシングスクール)に「親が勝手に書類を送り、送ったよーと」と。これはこれでプチ事件ですね。ターニングポイントその2と言ったら良いでしょうか。

FTRSとは、トヨタ自動車のドライバー育成の入り口です。そこへ応募したということです。SRSFを落ちて、その後の全日本カートもダメで、絶対受からないだろうと思ったそう。

その後、FTRSの書類審査が通過したということがカート界で噂となり、“やめておけ”という人もいたようで、彼は、この言葉をありがたいと思ったそうです。とても謙虚ですね。苦労をするとこういう思考も生まれ、人を育てますね。でもお父さんの想いもあり、FTRSを受講しました。

現在トムスでチームメイトの野中誠太選手と僅差でバトルを繰り広げるものの、野中選手に負けていたとのこと。案の定、野中選手は合格、平良選手は不合格となりました。

FTRSの先生の関谷正徳さん、片岡龍也さんから、開口一番「残念でした」と言われ、そこからの言葉が全く耳に入って来なかったと…。そんな中でも乗る準備をしておけ?と言われたような気もしたそうですが、落胆しすぎて覚えていないそうで、大きな挫折を味わいスクールは終了しました。2018年夏のことでした。

レーサーなんかやめた!と思って勉強していたその年の12月、FTRS担当の福木さんから電話が来て「覚えていますか?」と。この電話は、まさかの、来シーズンのオファーだったそうです。割愛しますが、2回レースを辞めているけれどレースがしたいという想いが、ここからまた彼を奮い立たせ、今に至ります。

沖縄という地でのモータースポーツ活動で苦労したこと

すぐに全国大会に出るレベルで練習ができなかった、ということが一番大きかったそうです。沖縄にあるカートコースは小さいコースなので、スピード域が全く違うそう。練習の場所を求めて本土に行くこともあったそうですが、飛行機で移動する遠征費、そして、カートのレンタル費用も含め負担が大きく、ましてやプロを目指すには、なおさら費用面では厳しい環境にありました。

お父様やサポートしてくださる方の理解がなければ、ここまで辿りつけなかったという気持ちが、お話から感じ取れました。

今季のこと

昨年、スポット参戦をしていた4輪の国内最高峰のカテゴリー、SUPER GTに今季はフル参戦が決定しました。muta Racing INGINGというGT300クラスのチームから、GR86で戦います。

チームメイトの堤優威選手も速いし、チーム体制も良く、早速テストに参加したそうですがクルマのバランスも非常に良いとのことで、この環境で走れることが楽しみなご様子。若い二人のドライバーで何か旋風を巻き起こして欲しいですね。やってくれそうな雰囲気があります。私も楽しみです。

そして、スーパーフォーミュラ・ライツ、前述しましたがトムスで3年目の集大成となるかです。今年取らないと周囲のみなさんに言われるのは当たり前。そして、とてもハイレベルなカテゴリーなので、気合を入れていきます。目指すは、チャンピオンです。意識してしまうのは当然ですが、メーカーからの期待感も感じるそう。とても激戦区のカテゴリーですし、ここがプロの道への明暗を分けますからね。

育成ドライバーとして用意してもらっている環境が素晴らしいのは、言うまでもありません。トムスでは、加藤エンジニアとも3年目。今季も二人でいろいろ模索したり、山田淳監督に相談したり、みんなで答えを探していくのは厳しくも楽しいそうですよ。

平良選手の仲良しでもあり最強のライバル

スーパーフォーミュラ・ライツ、トムスでチームメイトとなる野中誠太選手とは、F4から5年目の仲。彼もTGR-DCに選出されているとても優秀なドライバーさんで、目指すものは一緒です。今季は平良選手と同様に、このカテゴリーを卒業しないと…というプレッシャーと戦っているはずです。目の前にいるのが最強のライバルという事です。とても仲が良くプライベートでも遊ぶそうですが、「今年で俺ら最後だなあ」と話すことも…。

これまでも、このカテゴリーで若者同士の戦いをずっと見て来ました。特に、同期で、また最終戦でタイトルを賭ける戦いは、見るのが辛いこともありました。一方は、トップカテゴリーへデビューとステップアップしていき、一方は留まったり他の道を模索したり。これまで色々なパターンがありました。

これもその時のモータースポーツ事情によると思います。ただ、二人にとって一つひとつがセンシティブでシビれるシーズンであるのは間違いなく。また、サクっと来てタイムを出す、そもそもの練習量が違う、レベルの高い外国人ドライバーも現れたりしますので、とにかくこのカテゴリーは、見ているこちらもハラハラです。

さらに今季のライバル出現

在籍するトムスが先般、フォーミュラの体制発表をしました。昨年に続き4台体制。2年目となる古谷悠河選手も含め、3台は昨年同様です。しかし、さすがトップチームですね。Twitterを見ていて、テストをしたことは分かっておりましたが、元F1ドライバーのヤルノ・トゥルーリさんのご子息エンツォ・トゥルーリ選手が正式にエントリーしました。

17歳ということですが、どうも速いという噂。以前から、チームは強力な外国人ドライバーを連れて来ていました。そこから彼らが、日本のモータースポーツをかなり盛り上げていったのは確かです。お父様がトヨタのF1チームのドライバーだったということで、トヨタというメーカーも身近に感じているはず。目指すものも一緒かもしれませんよ。これは大きな刺激ですね。

さまざまなプレッシャーを感じつつもポジティブに、「もっとがんばろう!」と、平良選手は話してくれました。

Vol.2に続きます・・・

(写真:トヨタ自動車 テキスト:大谷幸子)

MORIZO on the Road